暴力のパズル 核戦略入門
公開日: 2025-05-08
¥150(税抜き)
税込み: ¥165
内容紹介
世界は、たった数行の数式と一瞬の閃光で書き換えられた――それが核の時代だ。『暴力のパズル 核戦略入門』は、ヒロシマの空を裂いた光からAIが計算する次世代の抑止シナリオまで、八十年にわたる“核と人間”のドラマを一冊に凝縮する。マンハッタン計画の地下実験室、ケネディとフルシチョフが震えながら取った電話、バルト海沿岸のレーダーサイト、そして朝鮮半島の暗号化された司令所――点在する歴史のピースを拾い上げ、組み合わせ、いま目の前で点滅する「暴力というパズル」の全貌を浮かび上がらせる。 本書が扱うのは兵器のスペックではない。焦点は、核のボタンをめぐる意志決定の心理、都市を賭けたゲーム理論、世論が震えれば揺らぐ抑止の信頼性、ミサイル防衛が生む次の不均衡、そして“核なき世界”が抱える逆説的リスクだ。冷戦の恐怖を知らない世代にも、ニュースの見出しでは飽き足らない安全保障マニアにも、核の論争を避けてきたすべての市民にも、この本は語りかける――「あなたが考えを保留するあいだにも、誰かの指はスイッチの上に置かれている」と。 読むほどにわかるのは、抑止とは〈兵器〉ではなく〈物語〉であるという事実だ。信じさせ、疑わせ、計算し、はったりでさえ平和を保つ。その物語を紡ぐ技術を、科学史・国際政治・心理学・メディア論が交差するスリリングな“パズル解き”で提示するのが本書である。ページを閉じたとき、あなたの中で「核」は抽象的な恐怖でも、遠い国のニュースでもなくなる。――それは、暴力を超えるために残された最後のクイズだ。
本文サンプル
目次
序章 暴力というパズルを解く――核戦略の「入門書」を手に取るあなたへ
- 暴力と政治――歴史を貫く二つの糸
- 「核」の出現が変えた世界観
- 入門書の射程――難解な専門用語をほどく
- 本書の構成と読み進め方
第Ⅰ部 核兵器の基礎を組み立てる
第1章 核兵器の誕生――マンハッタン計画からヒロシマ・ナガサキへ
- 物理学革命と原子核エネルギーの発見
- 科学者共同体と戦争動員
- 投下決定をめぐる政治と倫理
- 戦後世界に残った「閃光」の記憶
第2章 冷戦と抑止論――「恐怖の均衡」の成り立ち
- トルーマン・ドクトリンと米ソ対立の構造
- 核抑止の三要素:能力・意思・信頼性
- 相互確証破壊(MAD)という理論の功罪
- 危機管理ホットライン――ケネディとフルシチョフの教訓
第3章 技術の進化と軍拡競争――ICBM・SLBM・ABM をめぐって
- ミサイル時代の幕開け
- MIRV と精密誘導――目標の多様化
- 弾道弾迎撃ミサイル(ABM)のジレンマ
- 軍備管理条約とその限界
第Ⅱ部 核戦略という思考実験
第4章 抑止の心理学――相手の「頭の中」にどう影響するか
- シグナルとコミットメント
- 信頼性を高める三つの手段
- 誤解・誤判・偶発戦争のリスク
- ゲーム理論で読み解く威嚇と譲歩
第5章 限定核戦争はあり得るか――エスカレーション・ラダーを登る危険
- ハーマン・カーンの 44 段階
- 戦術核と戦略核のあいだ
- 指揮統制システムの脆弱性
- 「限定」で終わらないシナリオ
第6章 核と世論――民主主義国家でボタンを押すのは誰か
- 市民感情と核アレルギー
- メディアが作る「核の物語」
- 政治指導者の責任とジレンマ
- 核抑止は投票で決まるのか
第Ⅲ部 地域別にみる核のパズル
第7章 ヨーロッパの核シェアリング――NATO とロシアの最前線
- 二重鍵方式と核共有の実態
- INF 条約失効後の安全保障環境
- 小国の抑止力:ポーランド・バルト三国の選択
- ウクライナ戦争が投げかけた課題
第8章 中東の臨界点――イスラエル「曖昧戦略」とイラン核開発
- ディミオナの影と核の曖昧性
- NPT 体制の揺らぎと JCPOA
- サウジ・トルコ・エジプトのドミノ効果
- 宗教・イデオロギー・抑止の三つ巴
第9章 アジアの核三角形――中・印・パのパワーゲーム
- 中国の「最低限抑止」から「限定先制」へ
- インドの拡大抑止と二正面戦略
- パキスタンの「フルスペクトラム」抑止
- 国境衝突と核の影
第10章 朝鮮半島と日本――近隣諸国は核とどう向き合うか
- 北朝鮮の核開発史と交渉の軌跡
- 米韓同盟・拡大抑止・戦術核再配備論
- 日本の「潜在的核保有能力」と核武装論
- 非核三原則を超えて議論するために
第Ⅳ部 未来を設計する
第11章 軍備管理からリスク削減へ――新しいルールづくりの試み
- 新 START 以後の空白
- 新興技術(AI・サイバー)が突きつける課題
- 多国間フレームワークへの転換
- 国家以外のアクターと核テロ対策
第12章 核なき世界は実現できるか――理想と現実の接点を探る
- 廃絶運動の歴史と TPNW の意義
- 「核ゼロ」シナリオの技術的ハードル
- 地政学的現実と道徳的要請
- 市民社会と次世代へのメッセージ
終章 暴力を超える知恵――100年後の読者へ向けて
- 核時代を生きる私たちの選択
- 「抑止」以外の安全保障パラダイム
- 共通の未来を築くための行動指針
序章 暴力というパズルを解く――核戦略の「入門書」を手に取るあなたへ
「――核兵器の時代においては、戦争を始めた者こそが敗者となる」
——ベルナード・ブローディ(戦略思想家、1946 年)
人類史は、暴力と創造、破壊と再生の絶え間ない交錯によって織り上げられてきました。石と棍棒から鉄剣、火薬、戦車、ミサイルへと続く武器の系譜は、私たちの社会が抱える矛盾の「影」とも言えます。そして 1945 年 7 月 16 日、ニューメキシコ州アラモゴード近郊の砂漠で炸裂したトリニティ実験のまばゆい閃光は、その影を決定的に変形させました。それは、暴力の尺度を人類文明そのものの生死へと一挙に拡大し、政治・倫理・哲学の問いを根底から組み替える出来事でした。
本書『暴力のパズル――核戦略入門』は、核兵器という究極の暴力装置が私たちの日常や将来にどのような影を落としているのか、その仕組みと論理を「パズルを解く」ようにひとつひとつ丁寧に紐解こうとする試みです。「入門」と銘打ったのは、専門家だけではなく、中高生からビジネスパーソン、家庭の主婦・主夫、大学で文系を専攻している読者まで、核の時代を生きるすべての人が対象だからです。核戦略はしばしば「専門家の閉ざされた議論」と見なされがちですが、ボタンが押されるか否かは、私たち一人ひとりの政治的選択と無関係ではいられません。
以下、本序章では四つのステップで本書の入口を広げます。まず第1節で「暴力と政治」という歴史を貫く二つの糸を手繰り寄せ、核登場以前の暴力観を俯瞰します。続く第2節では、核兵器がその枠組みをどのように変えたのか、物理的・心理的両面から考察します。第3節では、核戦略の専門用語が何を指し示しているのかを平易に整理し、本書が目指す「入門」の射程を明確にします。最後の第4節で、本書全体の構成と読み進め方のガイドラインを提示し、読者を本編へエスコートします。
第1節 暴力と政治――歴史を貫く二つの糸
1. クラウゼヴィッツから読み解く暴力
「戦争は他の手段をもってする政治の延長である」。この古典的命題を遺した 19 世紀プロイセンの軍人カール・フォン・クラウゼヴィッツは、暴力を単なる破壊衝動ではなく政治的意図を持つ組織的行為と見なしました。重要なのは、暴力が社会の外部にある「野蛮」ではなく、社会内部で発生しうる“正常な”選択肢であるという視座です。国家、王侯、都市、部族——形態が変わっても、暴力は常に政治目的を帯びてきました。
2. 技術と暴力の共進化
石器時代の打撃武器は個の腕力に依存していましたが、青銅器と鉄器の登場は道具に力を「貯蔵」し、優位性を階級的に固定化したといわれます。火薬は個人戦から集団戦への転換点となり、大砲は城壁という防御概念を一変させました。近代国家は常備軍・徴兵制度・近代官僚制を通じて暴力を「国有化」し、市民から税と兵員を集め、欧州列強の帝国主義競争を加速させました。
3. 産業革命と総力戦
19〜20 世紀の産業革命は、蒸気機関・鉄道・電信によって物資と情報のスピードを引き上げ、「総力戦」を可能にしました。第一次世界大戦の塹壕線は産業化された暴力の象徴であり、第二次世界大戦の大量爆撃は市民を直接標的にした空からの暴力へと転換しました。この段階で暴力はすでに国家・軍人・市民を区別しないトータルなものになりつつありました。
4. 暴力の限界を考える契機
世界大戦を経て締結された国際連盟や国際連合の試みは、「暴力を法によって制限する」秩序モデルの誕生と言えます。しかし制限の試みの最中に、核兵器という文字通り桁外れの暴力装置が姿を現したことは、歴史のアイロニーであり重大な前提変更でした。従来の「戦争には勝敗がある」という常識が、核の登場によって成立しない可能性へ転じたのです。